Twitter防備録 マイクロソフト・トリビア
なんか元MSの古川氏TLがMSトリビアで埋められている! RT @SamFURUKAWA: MSトリビア01:マイクロソフトBASICを最初にライセンスした日本の会社は、OMRONである。
posted at 15:56:22
マイクロソフトのオープンソースへの取組みの原点はここにあり。 http://press.oreilly.com/pub/pr/832 私は、現場の会場でレッドハットを被った千人を超える群衆の野次と怒号の中で聴いていて、鳥肌が立った。2001年7月26日のこと。
posted at 01:33:56
http://twitpic.com/13vuc9 - MSロゴの変遷、最初は"MICRO SOFT"他に2種ほど
posted at 13:30:01
初期ロットの6502CPUで左ロテート命令が動かないもの、小豆色のセラミックに入ったモトローラ6800、8080iの白いセラミック版、ザイログのZ80、全部持っていたので、マイクロソフト本社のコンピュータ博物館に寄贈したのだけど、数年後に訪問したら「無くした」と言われた。
posted at 14:29:04
MSトリビア02:マイクロソフトBASICで漢字処理をした最初のコンピュータは、アルプスが生産し、ミロク経理から出荷されていた8ビット機である。
posted at 14:33:18MSトリビア03:マルチプランが最初に稼働した日本製のコンピュータは、RICOHのRICOM3000である。
posted at 14:34:58MSトリビア04:マイクロソフトのレリースした最初のOSは、松下通信工業用の「MDOS」、それに続いて、XENIX、MS-DOS、MSX-DOS、パルサー、などが提供された。
posted at 14:38:23MSトリビア05:16ビット版の漢字BASICは、三菱電機のMulti-16用に、CP/M86の上で動作していたものが初である。
posted at 14:40:20MSトリビア06:ソードのMシリーズの上で動いていた、FORTRANとCOBOLはマイクロソフト製品であった。
posted at 14:41:24MSMSトリビア07:16ビット版の漢字BASICは、三菱電機のMulti-16用に、CP/M86の上で動作していたものが初である。
posted at 14:43:31MSトリビア08:FATシステムのヘッダーに必ずある、”MZ”という文字列は、当時のプログラマー、マーク・ズビコフスキーの名前のイニシャルである。
posted at 14:45:32MSトリビア09:マイクロソフトで最初に導入した経理用コンピュータはTandyのModelIIIであった。その後、ニックスドルフやAS/400も使っていた。
posted at 14:47:13MSトリビア10:創業当時はプリンタを購入する費用が無かったので、近隣の小学校で印刷したラインプリンタ用紙を取りに行くのが、初代秘書(ミリアム・リュウボウさん)の仕事だった。
posted at 14:49:19MSトリビア11:1980年代の初頭にUNIXベースのメールシステムが導入されるまで、海外との連絡は、テレックスに紙テープを使用していた。
posted at 14:51:29MSトリビア12:契約書の編集には、WANG製専用ワープロを使っており、購入費用節約のためにBASICのライセンス費用をもって物々交換した。
posted at 14:53:50MSトリビア13:ビルゲイツは、PC-8001やTRS-80のBASICを記述した数年後にも、全てのラベル名称とサブルーチンがそれぞれのオブジェクトサイズが何バイトか記憶していた。
posted at 14:59:08MSトリビア14:スティ−ブ・バルマーはハーバード卒業後、スタンフォードでMBA取得、プロクター&ギャンブルでチョコレート菓子のマーケティングを経験後、MSに入社、「入社直後は、アセンブラと労働者の違いを知らなかった。」
posted at 15:02:02MSトリビア15:マイクロソフトの初代、緑色ボタンマウスの形は、”西和彦サンの手のひら”のサイズ、膨らみに合わせてデザインされた。
posted at 15:05:20MSトリビア16:マイクロソフトの8bitBASICは、6502、Z80、6809など全て同じソースコードからクロスコンパイラで生成されていた。マシンは、DECのSystem2020が初期に、それから2060(第5世代のコンピュータで使用された)をメインマシンにしていた。
posted at 15:07:56MSトリビア17: 2060で動いていたコンパイラは、DECのSystem10アセンブラでマクロ定義したもので、M80とL80は80系用製品。ソースのコメントは詳細に書かれていたが、リストは16進ではなく、オクタル RT @akibageek M80 がクロスで動いていた.
posted at 15:27:04MSトリビア18: アンマウントしないで、フロッピー抜いた時にデータを壊さないように、ブロッキング/デブロッキングの処理と再マウントをキーボード入力の隙間で繰り返すというアイディアを中島聡さんが発案した。
posted at 15:57:58MSトリビア19: 数字を更新するのを忘れただけ。別ネタですが、本ソフトはシフトJISではなく、2バイトのスペースコードの取扱い2020hが異なるCP/M86K仕様です。@hiroyukiinoue「漢字BASICは、三菱電機のMulti-16用に」って2回も同じネタ披露
posted at 16:02:17MSトリビア20:米国で出荷された初代IBMPCのキーボードは、西和彦さんが、各社のキーボードをコピーマシンにかけて出力した用紙と格闘しながら、ハサミとノリでデザインしたものである。
posted at 16:05:57MSトリビア21:世界初のラップトップPC、タンディのM-100は、JALのファーストクラスで隣合わせになった京セラの稲森さんを、西和彦さんが口説いたと歴史にあるが、実は初対面の後、稲森さんの自宅までハイヤーを飛ばし早朝車の中で軍艦マーチをかけながら家の廻りを3回転して口説いた。
posted at 16:12:41MSトリビア22: 新宿にオフィスのあった頃、ビルゲイツはSONYの盛田さんとの会議に遅れてはいけないけれど、技術者との会話に後10分欲しいと主張して、結果は”山手線に乗って品川まで一緒に行った。”
posted at 16:19:49MSトリビア23:ビルゲイツはアルバカーキ時代に、「1日に3回スピード違反の切符を切られたことがあるが、そのうち2回は同じ警官だった。」という説はFALSEで「1日に同じ警官から2度チケットを切られた」が正しい。
posted at 16:29:56MSトリビア24: ビルゲイツが断筆宣言でプログラムを書かなくなった理由(わけ)はこれだ。http://bit.ly/9EA89h
posted at 16:39:26MSトリビア25:ビルゲイツは「どんなコンパイルで書いたプログラムでも、それより速く実行できるオブジェクト・コードをビジュアルBASICコンパイラで生成できる」と口を滑らせ、何百人もTurboPascalなどで書いたプログラムで挑戦、彼自信でコーディングして全勝。それが最後。
posted at 16:45:08MSトリビア26: 1983年から、ビルゲイツはデートゲームに参加していた。 http://bit.ly/3wlqRh
posted at 16:53:40MSトリビア27: マイクロソフトの管理手法はこんな感じ、5年で私の髪が真っ白になった理由(わけ); http://bit.ly/bztlWM
posted at 16:59:26MSトリビア28: ハーバード在学中に開発したALTAIR用BASICを紙テープに出力し、創業者の一人ポールアレンはMITS社のあるアルバカーキに飛んだ、飛行機が着陸態勢にて、紙テープを読み込むブートプログラムを書いていないことに気付き、着陸までに32バイトのローダーを書いた。
posted at 22:06:40MSトリビア29: 当時はROMにモニタープログラムが入っており、OSが起動するなんてことはあり得なかったので、その32バイトを毎回フロンとパネルのスイッチからパチパチと入力した。そのプログラムがこれだ! http://bit.ly/906QfN
posted at 22:10:12MSトリビア30:ALTAIRかIMSAIのシリアルIOをイニシャライズ、データCEhをOut命令でポート3へ、その後17hもしくは37hを同じくOutという命令を見て、インテルの8251SIOのイニシャライズルーチンを思い出した人が居るならきっと相当なオジさんに違いない。
posted at 22:15:21MSトリビア31: 当時日本では、アスキーマイクロソフトがCP/M80を販売し、MSA(Micro Software Associates)がマイクロソフトBASICやM80、COBOL80、Fortan80を販売していた。
posted at 22:17:29MSトリビア32: Oki if800用のBASICは初めてカラーグラッフィクスを実現Circle文やPaint文を実装。Paint文の設計に際して、先にDIMを切って評価後塗りつぶすのが速いと主張するビルゲイツに、中島聡さんは「それじゃ、瓢箪型で塗り残しが出る」と論破した。
posted at 22:22:49MSトリビア32: CP/M80を単一製品で最大数量を販売したのは、マイクロソフト製のZ80Softcard for Apple IIである。小さなボードにはZ80CPUに8本のRAMと9本のソケット、80コラムの文字出力を実現 http://bit.ly/bDzS1s
posted at 22:31:20MSトリビア33: アルバカーキの時代から現在も在籍しているのは、ボブ・オレアだけになってしまった。彼はこの数年、ロボットSDKに取り組んでいた。 http://bit.ly/bZ0YnA
posted at 22:37:38MSトリビア34: マイクロソフトのUNIXであるXENIXは、68K、Z8000、80286以外にメモリマネジメントなしの8086でも動作していた。 当時Z8000CPUは、Zilog、AMD、Sharp(LH80002P)から販売されていた。
posted at 22:44:25MSトリビア35: マイクロソフト最初のOS、MDOSは、i8085を搭載した松下通信工業のマイブレーン700/800のみに提供されたが、出荷されることは無かった。理由は、56Kbしかないメモリの48KbサイズのOSでは2つのアプリを実行できなかったため。
posted at 22:47:24MSトリビア36: MSX用に開発されたMSX-DOSは、PC8001用マルチプランの隠しOSとして使われ、その後日本のパチンコ台(年間400万セット)の標準OSとしてアスキーから提供された。
posted at 22:49:18MSトリビア37: 製品出荷の記念日には、ボスが池にぶち込まれたり、水鉄砲でシューティングゲームをする者までいる。http://bit.ly/cNXxQi 残念ながら、朝日新聞のリンクは切れているけれど。
posted at 22:54:47MSトリビア38: マイクロソフトで良きボスであるためには、赤いバケツを被されて水浸しになりながらも、エアゾルのスパイダーマン用糸発生器で反撃する元気が求められる。http://bit.ly/dkDOFH
posted at 23:05:41MSトリビア39: MSX-DOSはCP/M80互換のCall 05hによる機能呼び出しでAPIが提供され、ディスクIOはMS-DOS互換のファイルシステム(2D,320Kb)アクセス機能を装備していた。
posted at 23:09:51MSトリビア40:MSX-DOSはPC-8801でも、PC-8031を搭載したPC-8001でも動作した。32KbCP/Mのメモリスペースはキツかったので、PC-8031内部に隠しリアルタイムOSをしかけて分散CPU、メモリ構成で動作していた。(中島聡&増川美樹作)
posted at 23:14:02MSトリビア41:西和彦さんの、紙と鉛筆で設計(廊下の床に広げて)は、キーボードの設計、シフトJISマップ作り、ラップトップコンピュータの試作などでお得意の技であった。
posted at 23:16:22MSトリビア42:パチンコ内部はMSXアーキテクチャそのものではなく、MSX用ビデオチップとMSX-DOSがほぼ標準品として採用されていた。
posted at 23:18:09MSトリビア43: Sharpのポケコンとほぼ同じ時期に、松下電器産業も”フレンズアミ”という会社からROMをカプセル状にして装着するポケコン(HHC)を6502CPU搭載で出荷していた。http://bit.ly/acYxUR
posted at 23:26:10MSトリビア44: マイクロソフトの6502用BASICはアップル用以前に、KIM-1とSYM-1用8KBASICをJohson Computerから出荷していた。 http://oldcomputers.net/kim1.html
posted at 23:28:47MSトリビア45: 6800用4KBASICは、SWTPC6800用に紙テープで提供された。 http://www.swtpc.com/mholley/swtpc_6800.htm コスモターミナルDのBASICはこれにパッチを当てて利用していた。
posted at 23:35:04MSトリビア46: コスモターミナルDの話と一緒に、山下良三さんのシフトJISの生まれた背景がここに記されています。 http://bit.ly/43w9yV そのマッッピングを考案する中で、紙を使っての話もここに...
posted at 23:39:52MSトリビア47: アスキー時代にシアトルと同じ環境で開発ができるようにSystem2060を導入した。ネット経由でダウンロードなんて時代では無かったので、夜中に1200TPIのオープンリールテープを8本腕に差して、ソースリストを全部ダンプして日本に持ち帰るのが私の仕事だった。
posted at 23:47:32MSトリビア47: SWTPC6800用BASICの開発は、その後日立BASICマスターがデビューする時に6809用のBASICとして再利用されるのであった。 その後、日立横浜工場はB16000シリーズという、IBMPC-XT互換のPCへと繋がっていくのであった。
posted at 23:51:39MSトリビア48: マイクロソフトのフォント名称に”HGゴシック”とか表示されるHGは、リコーの晝間副社長の”H”とGatesの”G”の頭文字だ!
posted at 23:53:54MSトリビア49: GW-BASICの”GW”は、William Gatesの”W”と”G”だと思っている人もいるが、これは、Geeh-Wiz、「ビックリ」の略である。綴りは間違ってるかも、あしからず。
posted at 23:58:41
MSトリビア50: フォント名、メイリオの原点は”明瞭”でもあるが、こちらにその背景が詳しい;http://bit.ly/ajPMQZ http://bit.ly/7PTils
posted at 00:02:34MSトリビア51: ビルゲイツが「シャケーン」と叫んでいる時は、「写研」のことである。
posted at 00:04:08MSトリビア52: 西和彦さんは、ビルゲイツがハワイの島を借り切ったビルゲイツの結婚式に出席した唯一の日本人(友人)で、その後シアトルのゴルフ場にて18番ホールを借り切って開催された披露宴には私が唯一の日本人として(他の社員と一緒に社員として)出席した。
posted at 00:10:44IBM社のDisplayWriterは内部の隠しOSとしてCP/M86が使用されていた。西和彦さんは、当然そのキーボードもコピーマシンにかけて複写をハサミで切り刻んでいた。http://bit.ly/9Shxj9 5100型や5120型も懐かしいですね。
posted at 00:19:05MSトリビア53: 個人的には、アップルIとIIの間に、Ohio ScientificのチャレンジャーやSuperboardIIが存在していたことは興味深い; http://oldcomputers.net/osi-600.html
posted at 00:26:33アップルIIのシステムクロックを発生するクリスタルは14.318MHzでそれを分周していると発見し、÷2を2回で、3.579545MHz、あっ、カラーTVのバースト波周波数でカラーの滲みを防ぐために基準クロックの位相を同期していると気付いた時に、ウォズニアックは天才だと思った。
posted at 00:32:06NECのN5200は起動ROMが128b/セクター、シングルデンシティの8インチシステムディスクでしか起動できないので、隠しブートプログラムで、CP/M86で起動し、CP/M86のアプリケーションにてμPD765のドライバを書き換えMS-DOSをブートさせた..
posted at 00:38:10米国版のN5200がAPC、http://oldcomputers.net/nec-apc.html NECISで仕様を検討する時にNECの戸坂さんと鈴木泰次さんの通訳兼運転手でボストンへ一緒に行ったのは既に28年前のこと..
posted at 00:46:18N5200のオリジナルOSはPTOS、N6300用のOSはNTOS、専用端末がITOS、PTOSのPC98用がPC-PTOSでありました。もちろん、メインフレーム用のOSはACOSね。喜安さんのお爺ちゃんはパラメトロンの父! http://bit.ly/co7qwa
posted at 00:57:37MSトリビア54: ビルゲイツが最後のCES基調講演でステージに一緒に上がったのは、ガンズのスラッシュだった。http://bit.ly/cJCt5J
posted at 01:03:18MSトリビア55: ビルゲイツにOSを売り込んだ日本人少年の話はこれだ! http://bit.ly/aF0m1L
posted at 01:07:12MSトリビア56: 学生さんたちのマイクロソフト訪問記 http://bit.ly/dmmGvT
posted at 01:11:02MSトリビア57: ビルゲイツは嬉しいとスヌーピーのようにジャンプするという都市伝説について、http://bit.ly/czqDwm
posted at 01:28:07