インフィニットアンディスカバリーとEnd of Eternity(エンド オブ エタニティ)と動画制作

エンドオブエタニティは、ゲームとしては正しいけれど、動画作成素材としてはどうか、と言う話。
インフィニットアンディスカバリーの時は、プレイヤー・カペルは、プレイヤーでありカメラマンであった。時々バトルシーンで、ステージをくるくる回っている場面があったが、あれは戦場カメラマンとしてのカペルだ。他のキャラクターは賢い知能で操られているのでカペルは何もせず、他のキャラの闘いぶりを撮影する事が出来た。特に、通常闘いに参加しない同行者などが、乱戦状態になるボス戦中ボス戦なとは、そのカメラマンぶりが発揮される。また自身が関与しない、ボス戦に遅れてやってくるシチュエーションや、別ルートで戦っているシークエンスなど、カメラマンとしての見せ場は多かった。
あえてここで記すが、 ヴァレッタ城塞からサランダ戦に向かう道中で、バルバガンとルカロカをフィーチャーした部分があった。これはその後のバルバガンとその家族のエピソードを入れる為に急遽思いついて、城塞入り口からやり直してわざわざ撮影し直した。この時はカペルは完全にカメラマンで、壁に近づいて自分の姿を消し、バルバガンとルカロカを撮影する為、エネミーに殴られ続けた。
プレイヤーとカメラマンという、ふたつの役割を使いこなす事で、動画の幅も広がったと思う。AIが優れていたのもあるだろう。最初にそれが発揮されるフェイエールからベスプレームの塔へ向かう道中が、その音楽と乱戦模様が相まって、実に爽快なバトルシーンになったと思う。
転じて、エンドオブエタニティ。ゲームとしては面白いし、ガンアクションも申し分ないと思う。が、インフィニットアンディスカバリーの様な幅のある動画にはならないなあ、と言うのがここんところの印象。確かに面白いし、リアルタイムレンダによる寸劇、衣装が繁栄されるイベントに、ゲームとしての仕様はいい、そこをフィーチャーするのもありだろう。だけどあのインフィニットアンディスカバリーのような幅のある動画は作れない。それは上のインアンで書いた事が実装されていないからで、まあ実装されていない方が普通なのだが、ここは素直にゲームを楽しめと言う事なのだろう。
やはり色々とインフィニットアンディスカバリーは凄かったんだな、と実感。